シロカニペ ランラン ピシカン・・
風が吹くとこの葉がはらはらと舞うの。 金粉のように・・
きれいなアイヌの詩を思い出す。
シロカニペ ランラン ピシカン、コンカニペ ランラン ピシカン
銀のしずく降る降るまはりに、金のしずく降る降るまはりに
カムイ・ユーカラ 「梟の神の自ら歌った謡」
この池は夏は一面の蓮
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食の記録。
たっぷりの人参とキャベツ、葱、干しえび、生姜など:豚ミンチ=5:1
冬の人参は甘くてね。。
エリンギと青梗菜のパスタ。
すごいな。。
(なんちゃって)チャパティとチリコンカンを作った。
チャパティはピタパンみたいにポケットになったよ!
アンチョビとニンニク、ブロッコリーのパスタ。
ヨーグルトってお肌にもいいんじゃないかな?ここんとこ気のせいかしっとり。
これからの乾燥対策に有希望!
あるもので胡麻ダレ(お酢なし、ニンニク・ごま油・ナンプラーなど)温麺。多めのラー油で激辛に。
適当に作ったのにこれがけっこういけた♪ (でも、二度とできないかも)
豆乳で濃厚マイルド担担麺。
この日はチーズ・ナン。
もっと厚めの方がふっくらするかも。
生姜入りチャイとパンの角。
友達の家の熱帯魚。鶏肉が好物だとか。
あまりにも意味のない写真のあとに申し訳ない。高倉健さんが亡くなったことを知ってわたしもショックだったんだ。
そしたら、この国の反応はもっとすごかった。
高倉健さんの訃報は瞬く間に中国中に広まった。
今、この時間になってもたぶん日本と同様か、もしかするとそれ以上に
多くの人たちが健さんの訃報を聞いて悲しみ、彼の映画の思い出や、リンクする自分たちの、自分の親たちの青春時代の思い出話を感慨深く語っている。
ちょっとびっくりするくらい、熱く切なく‥‥‥すごいな。
ひょっとすると、わたしたち現代の日本人よりももっともっと深く高倉健を愛した人たちかも(うまく言えないが)。
国境も民族も全部越えてしまってる。
と、いうか‥‥「中国の高倉健」?!
今年、3月14日に亡くなった宇津井健さんとともに、
中国の70年代末~80年代を一世風靡した日本映画のあこがれの存在だった、と言ってしまうとあまりに軽い。が、
なんだか男の生き様の代表とでもいうのだろうか。
90年代生まれのあるメデイア関係者曰く
「中国では高倉健は一人の俳優を超えた存在であり(その映画の影響はもちろんのこと)、『高倉健』この名前は、80年代の中国改革開放時代のひとつの文化的符号である。父や母たちの憧れの的、時代の象徴、神的存在なのである。」
すごいことになってますよ健さん!
追:
今もたくさんのひとたちが、健さんの映画にまつわる父母の思い出を、あの時代の思い出話を
感慨をこめてネットにアップしてる。
・・・・・・・・涙がでるなぁ
たまらない。
健さんにもありがとう。
この国のやさしいひとたちにもありがとう。
ありがとう、しか言えない。
なんで、泣けるのか?
short trip to 承徳
K7711次 7:56 北京発 承徳行き 新空調硬座 (二階建て列車だった)
乗り込んだら「後ろの車両はガラガラだから移っていいよ~」っと車掌さんが回ってきてみんな荷物をもって移動。
相席なしでゆったり座れた♪ これもオフシーズンならでは。
4時間ちょっとの列車の旅。久しぶりだ!
窓ガラス越しに風景を撮ってみた。
これが意外と楽しかった。写真はぼーぅっとしてるけどね‥
トウモロコシの収穫を終えて乾燥させる農村の風景。
外八廟のひとつ、 普陀宗乗之廟(チベットのポタラ宮をモデルにしたといわれる)。
チベット仏教の祈祷旗、タルチョ。
地・水・火・風・空を表す五色の旗。経文が風になびく。
避暑山荘(清朝皇帝の夏の離宮)
ここはとにかく広い。
風が強くてすごく寒い‥‥手袋とマフラーがほしかった。で、ほとんど写真は撮ってない。
永佑寺舎利塔
承徳駅
K7712次 19:15承徳発 北京行きを待つ。(23:38北京着)
帰りの列車もまたガラガラで自由に車両を移動。
でも、あまりに人がいないと寒いから途中から混んでる車両へ移動(笑)。
一泊二日の列車旅。
季節のせいかなぁ~
整った世界遺産の観光地を歩くより、むしろゆらゆら列車にゆられて外の景色見てる方が楽しかったかも‥‥
ベージュの草むら
あまりにもきれいな光だったので
枯れた草むらにうずくまってしばらく
・・・えっ?何か気配が
振り返るとすぐ後ろにおじさんが?!(内心ひゃあ~~)
わたしをのぞきこみ「どうだね?」
豪華な望遠付一眼レフをかかえて興味津々の顔
何を撮ってるか見せろと迫ってくる。
びっくりしたぁ!
確かにわたしも怪しいが、そんなに近づいて怖いじゃん!!なれなれしすぎ!(と、怒りたくなる距離。)
写っているのはベージュの草むら。
訳わかんない怪しいオバサン女子だと思うよね、そりゃあ。。