羅生門

年末の中国は穏やかではない。4億5千万人(2010.12現在)を越える中国のネットユーザーはここ数日も熱い。大晦日を迎える世界の国々とは違った温度で熱い。酷寒の北京でも熱い。春節を正月とする中国では元旦は“小年”と呼ばれ、春節の“大年”のいわば前祝。日本や世界で迎える元旦のようなムードは全くない。年末を楽しむ日本のみなさんには恐縮であるが、これはわたしの日記として記しておこうと思い書き出した。クリスマスであろうが年末であろうが中国の現実は現実である。

12月25日、浙江省温州楽清市付近の小さな農村で、目を覆うような悲惨な事件が起きた。農村の土地買収にともなう不正に立ち向かっていた老いた村長さんがダンプカーにひかれ亡くなった。当地の警察は事故としているが、事故とは思えない事実があきらかになる。土地買収には不動産企業から総額7億元(約86.5億円)が当地政府に支払われ、土地所有の農民には個人あたり10000元(約123万円)が支払われるという。農民に支払われる総額は1億元にも満たない。ここでこの不正に講義し何度も当地政府に掛け合っていた村長さんが、事故死したのだ。事故の目撃者も村長さんの家族も失踪中。事故現場の生なましいビデオが現地のひとによってネットにアップされ、ネット世論に火をつけた。このような事件は中国では日常茶飯事である。が、この善良で勇敢な村長さんの死に多くのひとびとが憤りに耐えられなくなっている。全国から弁護士や有志のグループが現地入りしている。

正直にいえばこの種の事件事故にはもう目を向けたくなかった。なんといっても年末で、日本では大掃除をし、一年を振り返り、家族で楽しく過ごす大切な時期。神聖な日本の大晦日を思えばなおさらのこと‥‥。気分を悪くされた読者にはお許し願いたい。ただ、この事件を討論するネット世論のタイトルに“羅生門”の文字をみつけ、つい入り込んでしまった。“羅生門”の単語は中国では成句として頻繁に引用されているという。これはわたしにとって発見である。芥川龍之介の“羅生門”も知識層には知られているが、なんといっても庶民にまで広くいきわたった原因は黒澤明の映画“羅生門”からであるらしい。中国で成句として引用される“羅生門”の意味は、辞書にはのっていない。検索すると「各自自分にとって利益になるよう事実を捏造するため真相が究明できないこと」といった意味であろうか。

昨夜、黒澤の“羅生門”をみた。久しぶりにみる黒澤は胸にしみる。学生時代とはまた違った印象で、ここには日本も中国もない庶民の暮らしがある。今、中国にくらして黒澤をみると、これがまたたまらないリアリティがある。そして80年代90年代に黒澤映画が中国のひとびとに与えた影響も考えた。成句にまでなっている事実。そして、芥川も黒澤も“羅生門”でいっていることは、21世紀の今にくらす中国の庶民にとってどれほど実感できることか。涙が噴き出すような怒りや悲しみ、感動も含めて、活きている中国。いや、そんな生易しいものではないだろう。正義への戦いであり、静かな怒りであり‥‥活きることは生半可なことではない。大晦日のこの日に改めて実感することである。善良なひとびとの暮らしに平安がくることを望む。最後に近くて遠い日本のみなさんへ、気ままなこのblogを読んでくれてありがとう。どうか、よいお年を!


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