莫愁前路無知己

 

别董大      高 适

 

千里黄雲白日曛,

北風吹雁雪紛紛。

莫愁前路無知己,

天下誰人不識君。

 

董大に別れる

千里の彼方まで黄昏の重い雲がたれ込め、太陽は薄暗い。  

北風は雁を吹き飛ばし、雪が乱れ散っている。  

これからの行く先に知己が無いことを心配するなかれ。

世界には君のことをわからぬ者などいないのだから。

 

高適、唐代の詩人。「别董大」は旅立つ友人を見送る詩である。この漢詩で特に有名なのは後半部分。中国の(教育を受けた)ひとならみんな知っているらしいが、日本語で訳を検索してもすごく少ない。最後の七言は自己流の訳をしてみた。実は、この漢詩には思い出がある。なにを隠そうわたしの相方に初めて逢ったときに、自分がいろんな国を漂流している体験を話したら、面白がって紙をとりだし書き出した。それが後半の“莫愁前路無知己,天下誰人不識君。” 当時は中国語もままならないし、友達も少ない。研究生で悪戦苦闘の毎日。不安なわたしを鼓舞する意味で書いたのだろう。英語と筆談の会話だったが、家に帰ってこの漢詩を検索したら素敵な詩で、こういうのがさらっとでてくることが印象に残った。この詩のおかげでまんまと騙されたか?(笑) 漢詩好きにはまぁそれもよかったかと思っている。

確かに、どこの国であろうが、言葉ではなくわかりあえるひとはいる。たぶん、お互いに逢えばわかるんじゃないかな、直感で。欧米人は初対面でわりと身なりから入る場合があるかもしれない。TPOを重視するから当然である。服装や靴やアクセサリーなど、一瞥で値踏みされる。それはある種日本と同じかもしれない。でも、わたしの経験からいうと中国人はそうではない。もちろん全てではないし、欧米のブランドを好む若者も多い。そういったブランド志向や成金趣味のかたがたは、あきらかにすぐみてわかる。わたしのいう対象は、裕福層でも文化教養が有る層で、年齢が比較的上の苦労を経験した世代についていっている。それから商業文化系の南方ではなく、政治文化系の北の地方について。彼らは一般にひとにあっても外見には無頓着である。逆にいうと、彼らの身なりから情報があまり引き出せない(笑)。中国のひとはどんな背景や肩書きをもったひとでも、比較的質素でカジュアルな服装が多いように思う。ここ北京では特に。えらくよれよれの古いシャツを着たおっちゃんが、えらい政治家の娘の夫だったり。びっくりすることが多々ある。だから、彼らもみているところが違う。表情や振る舞い、ひとへの気くばり、考えていることをみている。もっというと、人間のきれいさ、器の大きさや骨の硬さなどもみている気がする。にこやかに笑ってはいるけれど、なにをみられているかわからないから、恐ろしい。老子の言葉だったか定かでないが、こんなのがあったはず。「コップは、中の空間が役に立つのだ。コップ自体の形や外見は意味がない。」わかりやすい表現である。それにしても、ものの見分けのつく中国のひとの前では、どうにも繕えないものがある。

 “莫愁前路無知己,天下誰人不識君。”この詩は、「世界中の誰にだって、わかるひとにはわかる。だから迷わず進め。」ただこれだけのことを言っている。厳しくて温かい言葉である。


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